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2014年8月31日 (日)

原子力の時代 7

(日本の)原子力の時代の2回目、8月25日に書いたように「原子力基本法」が制定されたのは1955年だった。そして5回目(29日)と6回目(30日)に書いたようにその提案は自民党と社会党の衆議院議員全員の提案によるものだった。

 日本の原子力研究、核エネルギー利用研究開発は55年体制とともにはじまり、ともに歩んできた。

 そういう経緯からすれば、原発のいろいろな神話=ウソ、は55年体制の神話=ウソと相関があるだろう、と思えてくる。最初は核エネルギーは「夢」だったが、それが夢に過ぎないと分かったときに、夢を捨て、覚醒しなければならない。そのときに、夢をあきらめられず、しがみつき、それが達成可能なプロジェクトだと主張することが神話を生み、それを維持するためのウソをまき散らすことになる。

 55年体制の大ウソは、8月15日を「終戦の日」とすることだ。本来は「敗戦の日」だ。原発でそれに匹敵する大ウソは、核の平和利用、という耳ざわりのよいスローガンだろう。

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2014年8月30日 (土)

原子力の時代 6

 昨日引用した、岡の発言にある3人の共同提案者の所属が気になった。法案が提出された1955年12月、志村と松前は社会党、前田は自民党だった。

 しかし詳しく見ると、自由党と民主党が一緒になる保守合同はその年、55年の11月、左右の社会党が一緒になるのがその前の月、10月だった。それ以前彼らの所属政党はというと、先ず中曽根が民主党、前田が自由党、志村が左派社会党、松前が右派社会党。55年2月27日の総選挙での獲得議席は、民主党が185、自由党が112、左派社会党が89、右派社会党が67だった。

 その後の経過を見ると、60年1月に社会党から一部の人が脱退して民社党を結成した。自民党は政権与党という党で金で結ばれた絆が強く、76年に新自由クラブ創設のために一部の人、しかし政治的に有名な人たちが出て行くまで、大きな分裂はなかった。

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2014年8月29日 (金)

原子力の時代 5

 原子力予算成立により核分裂エネルギー利用の研究がはじまることにともない、研究開発活動や核エネルギー利用が暴走しないようにということで「原子力基本法」が作られた。これは奇妙な日本語、議員立法によって制定された。立法府を形成する国会議員の仕事は法律を作ることのはずだが、実際には仕事の大部分は政府が提出する法案を通過させ、成立させることになっている。たまに議員が作った法律が提案されるので、議員立法、という言葉があるのだろう。

 原子力基本法は第23国会で成立した。1955年12月のことだった。国会提出は12月13日で、衆議院通過は翌14日だった。参議院通過は16日だった。

 以下に衆議院の科学技術振興対策特別委員会に付託されたときの提案理由説明と最初の意見陳述を、「国会会議録」で見ていく。

[009/023] 23 - - 科学技術振興対策特別委… - 4

昭和301213

原子力基本法案(中曽根康弘君外四百二十一名 提出、衆法第八号)

中曽根委員 原子力基本法案の提案理由を御説明申し上げます。

 本原子力基本法案は自由民主党並びに社会党の共同提案になるものでありまして、両党の議員の共同作業によって、全議員の名前をもって国民の前に提出した次第であります。(以下省略)

岡委員 このたび原子力基本法を御提出になりまして、いわば日本にも新しい原子力時代の黎明が訪れようという、その力強い頼もしい道を開かれたのでありまして、このことが、中曽根康弘君、志村茂治君、前田正男君、あるいは松前重義君、そのほか衆参両院を通じての同志諸君の、国家的な見地に上る、しかもきわめてたんねんな御努力によって、いよいよ御提案になったのでありますが、私は、この際、質問に先だちまして、これらの諸君の御努力に心から敬意を表するものであります。(以下省略)

 この23国会の衆議院の定数は467名だったので、90%ほどの議員が共同提案者に名前を連ねたことになる。そしてその代表が中曽根だった。

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2014年8月28日 (木)

不気味な予言

 今日、28日の「日経」を見ていて、英国のフィナンシャル・タイムズからの転載記事に目がいった。以下がその見出しと、記事の最後の一番気になった指摘の部分だ。

[FT]アベノミクス3本の矢、いまだ的中せず

(1/2ページ)

2014/8/28 14:35

(途中省略)
 さらに、事態は悪い方向に進みかねない。安倍氏は、小泉純一郎元首相が少なくともそうあろうとした意味での「真の改革者」ではなかった。安倍氏は将来を見据えるよりも、回顧する政治家だからだ。
 どうか4番目の矢(数え方によっては2番目の矢)として軍国主義が復活しないように願いたい。安倍氏の本当の関心はそこにあるという兆候がしきりに見える。解決策を過去に求めるのは常に危険なことだ。世界の大半の国々は未来のことを考えているのだから。
By Henny Sender
(2014年8月28日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM28H0G_Y4A820C1000000/?n_cid=TPRN0005

 この記事によれば3本の矢のうちあたっているのは、円安だけだという。しかしそれは結果として輸入エネルギー価格の上昇を生み出すだけで、生産拠点が海外に移っている自動車などの製造業にとってメリットは何もなく、トータルとして国民の負担が増え、実質所得の目減りにつながっている。

 しかし、後ろ向き、過去の亡霊と一緒に暮らしている安倍にとっては、国民の苦痛はとるに足らないことだろう。FTの記事、筆者のH. Senderは、日本国民はこんな奴をいつまでのさばらしておくのだ、と思っているようだ。

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2014年8月27日 (水)

日本の原子力の時代 4

 中曽根予算についての追加の記述。本予算と修正案を最終的に可決した本会議で、日本社会党(当時)の小平忠は反対討論を行っていた。以下に彼の発言を「国会会議録」によって、修正案についての反対理由を中心に見ていく。

小平忠君 私は、日本社会党を代表いたしまして、昭和二十九年度政府予算三案に対しまして、保守三党による共同修正案並びにその修正案を除く政府原案に反対し、両派社会党による共同組みかえ案に対しまして賛成の対論を行うものであります。

……

最後に、今般保守三党の協同修正案の中に突如として原子炉建造のための費用として二億六千万円が計上されておるのでありますが、原子炉といえば原子力研究につながり、原子力研究そのものは現情勢では戦力と結びつく危険性がありまして、反対論が非常に多いのであります。現に、今朝の各新聞紙上を通じて、学界の権威者はあげて反対しております。特に日本学術会議茅誠司会長の談話によれば、「科研に委託して原子炉をつくらせるという修正予算の新聞記事を見てびつくりした。現在日本で原子炉をすぐつくるべきだと考えている学者は一人もいないと思う。」云々と述べておられるのであります。諸君、われわれは、原子力の平和的利用の前提としては、原子力の国際管理が絶対に必要である。かかる前提なしに原子炉建造のために十分な研究もなさず、学界の猛烈な反対の中に一部政党の要求による思いつき的予算を計上するようなことに対しましては断固として反対であり、すみやかにこれを削除することを要求するものであります。

 発言は、1954年3月4日、衆議院本会議においてのものだ。

 国際管理が不可欠で現状ではそうなっていない、というのは一応論理的だ。しかしその状況は、翌年、原子力基本法を制定するときに変わったのだろうか。

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2014年8月26日 (火)

日本の原子力の時代 3

 1955年の原子力基本法の前提が、前年度にはじめて付けられた原子力予算(原子炉築造補助費)だった。人によってはこれを中曽根予算と呼ぶ。それは当時改進党の代議士だった中曽根康弘が同僚の何人かの代議士と協力して、年度予算の修正という形で、原子力予算を組み込み、国会を通過させたことによる。

 提案した代議士の中でその後も原子力に関心を持ち続けたのが中曽根で、いろいろな局面・時代に原子力にかかわったので、54年の予算も中曽根予算と呼ばれることがある。

 原子力予算を組み込んだ年度予算の修正案は3月初めに衆議院を通過した。参議院に送られてから、3月1日のビキニ被ばくが報道された。その結果参議院では、衆議院では一切討議の対象とはならなかった年度予算の修正部分、つまり原子力予算・原子力炉を作るための研究をすることについて議論がされた。

 そのときの審議には、参考人として当時学術会議の原子核特別委員会委員長だった、後のノーベル賞受賞者、朝永振一郎が呼ばれ、発言している。日本では地震があるので十分な備えをしてからではないと原子炉を作るのは危険である。もっと地道な基礎的な研究を進めてからの話ではないか、と訴えた。

 その危惧が、57年後、2011年現実のものとなった。前兆はあった、2007年、新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発で火災が発生し、一時全面操業停止に追い込まれた。このときは2年半後に再開にこぎ着けた。

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2014年8月25日 (月)

日本の原子力の時代 2

 日本の原子力の時代は1945年の被ばくからはじまった、ということでよいのだろうか。3.11以降改訂された「原子力基本法」が制定されたのは1955年だった。そういわゆる55年体制がはじまった年だ。

 日本自らの歩み、ということでは1955年をはじめの年とする考え方がある。さらに失敗に終わった日本の原爆開発開始の年ということでは1940年ころとも言える。今は、45年から55年までの10年間の日本での原子力の展開を見ていく。

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2014年8月24日 (日)

日本の原子力の時代――1945-2015年

 日本の原子力の時代は、広島&長崎からはじまった。そして、来年は被ばく70年となる。僕は、来年を日本の原子力の時代の最後の年にしたいと考えている。

 実際には廃炉とか、貯め込んだ原爆材料であるプルトニウムの処分とか、残務整理はあるが、核分裂のエネルギを利用することを最終的に断念する年にしたいと願っている。核分裂で電気を作ることもなく、戦争の道具である核兵器を開発することもない、被ばく者を出さない社会を実現したい。そのために今できることはなんだろう。

 いろいろありすぎるということがあるかもしれない、それであればあるこそ、為すべきことを絞り込む必要がある。

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2014年8月23日 (土)

原発の安全――10

 その存在自体が危険というのものはないだろう。原発でもその存在自体が人に危害を加えるわけではない。それは車が車庫にサイドブレーキをひき、車止めをして保管されていれば、人を轢くことがないのと同じだ。

 危険度の高い原料を使う工場でも、通常運転をしている限り、人に危害は加えることはない。何かの事故で「暴走」したときに、周辺住民を巻き込んだ危害を加えることがある。その場合、周辺の大きさはせいぜい数kmだろうが、原発では数十kmとなる。

 一般の工場の場合、排煙とか騒音などの加害をもたらしていることはある。原発や原子力施設も温廃水(温排水とも言う)で海の環境を汚染し、また「許容」量以下とされる放射性物質を環境に放出し、じわじわと生態を破壊している。これらはとりあえず現在の日本では違法行為とはされていない。

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2014年8月22日 (金)

原発の安全――9

 工業製品で、部品一切を輸入し、それらを日本で組み立て、その経験を生かしてその製品の生産のノウハウを身に付けるという方法はある。日本では1953年に、その方式で日産が英国のオースチン、日野が仏のルノー、いすゞが英国のヒルマン、の生産をはじめた。当初は部品一切を輸入に頼っていた(ノックダウン方式)が、のちに国産化(ライセンス生産)を実現することになる。どうやら、コールダーホール炉を実用的商業炉として導入した正力の頭にあったのはこうしたイメージだったかもしれない。

 今上記3社はそれなりに活動している。他方で、そうした方式と無縁だったのがトヨタであり、それよりはるか後の時代に登場したのがホンダだった。そして後記2社の方が先の3社より売れる車を作っている。

 原発ではこうした比較はできない。しかしひとつの可能性として、56年に、もっと落ち着いた選択がなされていたら、と考えないわけにはいかない。

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2014年8月21日 (木)

原発の安全――8

 ぶっつけ本番というのは、テレビ中継などでは思いもかけないことが起ることがあり、それが当事者の緊張を高め、面白い、興味ある画面を生み出すことがある。しかし原発でそんなことはあり得ないと思っていたら、あった。以下は1956年12月6日の参議院外務委員会での発言だ。

国務大臣(正力松太郎君) 実験ではないのです。いきなりいこう、こういう議論が原子力委員会で協議されていたわけです。それが実際イギリスのヒントン卿の話のように、今は実験炉ではなくて、イギリスのコールダーホールでは千億円もかけております。それだから日本は幾らかパテントをとられますけれども、それを日本に持ってきて学者に研究を大いにやらせる。ただそれを買ってきて、そのまま単に応用するというのじゃなく、一面応用もするが、学者の研究は盛んにやらせる。

 分かりにくい言い回しだが、いきなり発電所として運用し、その傍らで研究用にも使う、ということだ。

 これまでに書いてきた、プラスの温度係数や黒鉛が膨張するのではなく縮む、などというのは「思いもかけないこと」だった。幸いこの炉は大きな事故を起こすことなく、1998年度末に運転を終了した。これに関して日本原電はこう書いている

 同発電所は炭酸ガス冷却型炉であるため原子炉や熱交換器などが大きな割には出力が小さく、軽水炉に比べて発電単価が割高なこと、また国内唯一の炉型であるため、保守費や燃料サイクルコストが割高なことがあげられます。その結果、1998年3月31日をもって営業運転を停止しました。

「営業運転」つまり、実験炉ではなく、実用炉という位置付けだった。

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2014年8月20日 (水)

原発の安全――7

 再度、河合さんの本の紹介。コールダーホール炉の主要部材は、中性子を減速するための黒鉛だった。それが装置の多くの部分を占めており、地震に際してそれが炉を壊さないよう固定することが必要となった。そして日本の地震研究者が動員された。

 以下が河合さんの本が指摘している内容だ。

導入後、地震対策が必要となり、原子炉の減速剤である黒鉛を固定する必要が発生し、日本の地震学者が知恵を絞り、59年正月に鳥かご構造のものを立案したがそのご、59年6月、英国から燃焼後黒鉛は伸びずに縮むことが分かったと連絡。そのことは前年8月、スイスでの第2回原子力平和利用国際会議で米国から「黒鉛はちぢむ」という論文が発表されていた。日本から50数名の参加者がいたが、誰一人聞いていない。

 こういう実態から本のタイトルは必然的に『不思議な国の原子力』となったのだろう。

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2014年8月19日 (火)

原発の安全――6

 タイトルは「安全」ではなく「危険」かもしれないけれど、とりあえずこのまま行く。

 1959年、当時から原子力の研究を推進し、その後学術会議会長や参議院議員なども務めた伏見康治はこう発言している。

ちょうど1年ほど前に(58年)、コールダーホール型の原子炉を買うために、イギリスまで行かれた……そのころしきりにうわさが飛びまして、たとえば天然ウラン燃料をだんだん燃やしていって数100MWD/tていどのバーンアップになりますと、正の温度係数があらわれるというふうなことが、世の中にとりざたされるようになります」。コールダーホール炉の場合、運転開始から一月ほどで100MWd/tとなってしまう。

 彼は英国の事情について、こう見ていた。「平和利用の目的には結局あまり適当していないために、もっぱら兵器用にのみプルトニウムを使うのではなかろうかといったような疑いも起こさせるような事業があったわけであります」。

 当時日本の原子力政策は燃料としてのプルトニウムを、
伏見の言葉だと「相当主役を演ずる」と位置付けていた。

 それでも、コールダーホール炉の導入は強行され、「失敗」の責任を負う人はいなかった。ここで失敗を認め、総括していれば、無責任な「原子力ムラ」 の性格は少しは変わったかもしれない。どうだろう、甘いかな。

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2014年8月18日 (月)

原発の安全――5

 日本が原子力の利用のための研究開発の政府予算を開始したのは1954年だが、ここ何日間か1956年から1958年の関係書類を読んでいる。

 そこで気になったことは、原爆から10年ほどしかたっておらず、またもっとも初期の原発から数年しかたっていないのに(ソ連が1954年、英国が1956年)、あたかも原発が一人前の技術であるかのように、コストまで議論されていることだ。

 技術は失敗を繰返し、次第に一人前の技術に育っていく。ソ連のものは5千KWと極めて小規模で実験段階のものだ。英国のものも6万KWだった。どちらも黒鉛炉だった。

 日本は明治以来、諸外国の技術を丸ごと、時に技術者も一緒に輸入し、独自のものに作りかえてきた。原子力もその道を考えていたフシがあるが、ルーツが原爆、つまり軍事技術ということで、その方法がうまく機能しなかったと考えることもできる。

 明治時代は19世紀半ばだった。その時代の技術と、原子力技術とは同列に扱えないということだろう。

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2014年8月17日 (日)

原発の安全――4

「マイナスの温度係数」と「プラスの温度係数」。原子炉の場合、マイナスの温度係数は必須とまでは言わなくても、必要な条件だ。マイナスの温度係数の炉だと、何かの原因で温度が上がっても自然に炉内の反応の度合いが下がり、炉の状態が落ち着き、暴走することなく停止に向かうと期待できる。

 英国から導入することになったコールダーホール炉は何故、プラスの温度係数だったのか。こうした危険性を抱えたものを何故英国は開発したのか。それは、原爆の材料となるプルトニウム生産に適した炉だったからだ。

 当時日本はその事実、コールダーホール型の炉がプルトニウム生産炉であったことを、どの程度認識していたのだろうか。そしてその点をどう考えていたのだろうか。

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2014年8月16日 (土)

原発の安全ーー3

 最初に昨日、15日の補足。昨日は日本にとって第二次世界大戦の敗戦記念日だが、終戦記念日はいつだ。9月2日だ。それは何故だ。2日になったら書こう。

 さて、河合の本に基づくコールダーホール原子炉導入時の混乱の続きだ。安全という観点から見て重要な二つの問題があった。ひとつは地震対策が全くないことだった。もう一つは、売り込み当初「マイナスの温度係数」というふれこみだったものが実は逆だった、という問題だ。

 この続きはまた明日。

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2014年8月15日 (金)

敗戦記念日に原発の問題を考える

 8月15日は終戦記念日ではなく敗戦記念日だということを毎年書いている。今年も書いている。

 さてこれから本論。『不思議な国の原子力』(河合武、角川書店、1961年)に基づいて、コールダーホール原子炉導入のころの「安全」の議論をメモしておく。

 重要と感じたのは、「美辞麗句の氾濫」と「なにげない省略」だった。美辞麗句の具体例は、「人類の夢、原子力」、「人類に、幸福と繁栄をもたらす原子力平和利用」、「貧困と飢餓を追い出す原子力」などだ。これらは原子力平和利用展覧会(博覧会)や、60年から始まった「原子力デー(10月26日)」向けの標語だったようだ。

 省略は、「研究が成功すれば……」、「理想的にうまくいけば……」程度の省略はともかくより重要なのは、「危険をおかせば……」や「金(かね)に糸目をつけなければ……」と指摘している。

 この段階では、安全性の問題は経済性の問題と同等に扱われているように思える。金に糸目をつけなければ、何とかなると考えていたわけでもないだろうが、将来に期待していたということだろう。

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2014年8月14日 (木)

原発は安全、の起原をたどる 1

 日本で原発などの原子力開発の国家予算が計上されたのは1954年からだ。第五福竜丸など日本の漁船がビキニの水爆実験で死の灰を浴びたのはその年の3月だった。そして翌55年秋には、原子力平和利用博覧会が全国各地で開催され、「原子力平和利用」の夢がばらまかれた。

 このころの日本では、原子力で電気を起こすとか、船を動かすという話は現実の問題ではなく夢の世界の問題だった。そのため、核分裂に関連する、すなわち核燃料や核分裂や死の灰などの問題以前に、核分裂の非軍事的利用という「夢」のような話は本当に可能なのだろうか、という点に関心が集まったようだ。

 現実の問題と認識すると、核燃料が外部に漏れたらとか、核分裂後のゴミである使用済み核燃料の処分をどうする、といったことが難点として理解できるのだが、その段階は1957年以降だった。その年日本は、英国から発電用原子炉として黒鉛減速ガス冷却タイプのコールダーホール型原子炉の導入を決めた後のことだった。

 以下はメモだ。今日、14日の「産經新聞」の見出しだ。

福島第1、凍らない「氷の壁」断念か 別工法も 19日に規制委が検討

2014.8.14 08:09

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140814/dst14081408090001-n1.htm

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2014年8月13日 (水)

安全や必要の度合いを測る指標は

 野田政権の原発再稼働(再起動)の2大要件は「安全」と「必要」だった。「必要」の方は日本全体の需要と発電能力からおおよその見当はつく。それでも皆が余分な電気を使わないようにすると、需要は下がっていく。

 3.11が起きるまで、電力会社は調理や湯沸かしに電気を使おうという営業をやっていた。発電能力に十分、あるいは十二分に余裕があったのだろう。

「安全」についてはどう考えたらよいのか。技術には100%ということはない。事故をゼロにしたいと願うなら、日々限りなく事故ゼロに近づけるという努力を続けることだ。

 日々そうした努力を可能にするものはなんだろう。使命感という考え方もある。それを原発に当てはめてみると、今のように国論を二分、あるいは再稼働反対が過半数を超えている状態で、使命感を維持するのは容易なことではないだろう。

 さらに今日のタイトルに戻ると、「安全」であることを定量的に主張しようとする場合、何がその指標になるのだろう。これからすこしづつ考えていこう。

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2014年8月12日 (火)

原発再稼働の条件

 安倍政権は「安全な原発」は再稼働とうそぶいている。説得力に乏しいと思い、野田政権は大飯の再稼働のときにどう説明したかをおさらいしようと調べた。そこで見つけたのが以下の図だ。

Image001_2

 このチャートは、「大飯原子力発電所3、4号機の再起動について 」からとったものだ。チャートがうまく反映できないので、文字部分を以下に起こしておく:①「安全」が最優先。「安全」でなければ、「必要」であっても再起動はしない。
②そして「安全」であっても、「必要」がなければ再起動はしない。
「安全」かつ「必要」な場合のみ再起動。

 このチャートで思うのは、ここ10ヵ月間原発は止まっている、そしてもう8月も10日過ぎだが、僕たちにとって幸いなことに電力不足は起きていない。

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2014年8月11日 (月)

「あなたはだれ?」

 そうこれは有名な『ソフィーの世界』の中の手紙の文句。

 頭がいい、回転が速い、気がきいている……、いろいろあるが「自分が何者であるか」が分かっていない、自覚がないと空回りになるのだろうな。

 でも「自分が何者であるか」は分かった瞬間に、分からなくなる。らせん階段をひたすら上り続けるような思考の繰り返しだと思う。エンドレスに同じようなところをまわり続けるがけっして同じところにとどまっていない、ということだろう。

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2014年8月10日 (日)

いやなところで地震が発生                  

 今日、10日の昼ころ、青森県東方沖で地震が発生した。その地震を報道する「長崎新聞(共同通信)」の記事とタイトルを以下に引用する。

青森で震度5弱 新幹線一時運転見合わせ(08/10 17:03)

 10日午後0時43分ごろ、青森県三八上北で震度5弱の地震があった。震源地は青森県東方沖で、震源の深さは約50キロ。地震の規模はマグニチュード6・1と推定される。

 気象庁によると、震源は東日本大震災の余震域と位置付ける範囲のやや北側に外れた場所で、震災との関連は不明。

 記者会見した地震津波監視課の長谷川洋平課長は「余震かどうかの厳密な区別は難しく、震災がどれだけ余震域の外部にも影響したかを見極める必要がある」とした。(以下省略)

http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CO20140810/na2014081001001363.shtml

 青森県東方沖というのは下北半島の東側の海ということだ。下北半島は今や福井県の若狭湾と並んで原発関係施設が集まっているところだ。核燃料サイクルのキーとなる施設を抱える六ヶ所村もある。

 今日の地震が3.11の余震でなく、独立の地震となると、この地域は別の地震の巣、ということになる。それは下北半島の原発施設の危険性を高める要素となる。その意味でいやなところで起きたな、と思っている。

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2014年8月 9日 (土)

カネミ油症の会合に行ってきた

 先日、7月24日に書いた集まりに行ってきた。僕が行ったのは午後の、講演会の部だった。

 雨が心配されたが小雨がぱらついた程度でホッとした。午前中のビデオ上映会の人出は分からないが、午後の講演会は会場がほぼ埋まり、盛会となり、いろいろな意見や質問も出てよかった。今の不十分な救済策さえ受けることができない人がいる、カネミ油症は国家の犯罪だ、もっと真剣に取り組む必要がある問題だ。

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2014年8月 8日 (金)

安倍のおろかなスピーチ

 今日、8日の「神奈川新聞」に「首相スピーチ『コピペだ』広島平和式典 ネットで批判」という記事が出ていた。同じタイトルの記事は他紙にもあるので「共同通信」の配信だろう。今年の平和記念式のあいさつが、昨年のもののコピー&ペーストだ、というのだ。原文は以下で読むことができる。

平成25年8月6日 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ(首相官邸)

平成26年8月6日 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ(首相官邸)

「神奈川新聞」の記事によると、昨年の「68年前の朝」が、今年「69年前の朝」となり、また昨年あった「せみ時雨が・・・」という表現が、今年雨だったので消えている以外は、冒頭3段落が一字一句同じだという。

 読んでいて、違和感がないのだろうか。まだそれほど年もとっていないのに、記憶力が落ちているのだろうか。

 あるサイトでは、これはすぐにバレることは分かるはずで、スピーチライターが確信犯的に、新種のクーデターのつもりでやったのではないか、と推測している。そうだと面白いが、女性を揶揄するヤジをはじめとする、政府与党のたがのゆるみが、官邸にも達したということだろう。

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2014年8月 7日 (木)

政府と東電ーー荒っぽくなってきた

 それが可能なら、何故最初からその道を追求しなかったのだろう。何とかなると思っているうちに、何とかならないことがはっきりしてきた、ということではないのか。そう思わされる記事が今日、7日の「長崎新聞(共同通信)」に出た。タイトルも含め引用する。

原発汚染地下水の浄化排出検討 東電、近く地元説明へ08/07 11:37)

 国と東京電力は、福島第1原発の汚染水対策で、「サブドレン」と呼ばれる建屋周囲の井戸から地下水をくみ上げ、ほとんどの放射性物質を除去した上で海へ放出する計画を検討していることが7日、分かった。東電は近く、地元漁協へ計画の概要説明を始める。

 第1原発では建屋山側の地下水をくみ上げて海洋放出する「地下水バイパス」が5月に始まったばかり。浄化するとはいえ建屋近くで一度汚染された地下水を放出するのは初めてとなり、風評被害を懸念する地元は難しい判断を迫られる。

 第1原発は、建屋に流れ込む1日約400トンの地下水を抑えることが急務となっている。

http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CO20140807/sc2014080701000849.shtml

 まだ汚染水処理の「切り札」とされるALPSも本格稼働していない。それでいて汚染水を浄化して、海に放出する、などという計画を持ち出す。見通しが甘いというより、先を見た仕事がなされていない、ということだ。

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2014年8月 6日 (水)

フクシマーー炉心が完全に溶けていた

 完全なメルトダウンだった。今日、6日になってその事実を東電が公表した。それを伝えた「読売」の記事とタイトルを以下に引用する。

3号機炉心溶融、推定より4時間早かった…東電
 2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故で、3号機ではこれまで考えられていたより約4時間も早く炉心溶融が始まっていたことが6日、東電の調査で分かった。
 東電は「燃料の大部分が格納容器の底まで溶け落ちた」とみており、今後の廃炉作業がより難しくなりそうだ。
 政府事故調査・検証委員会の最終報告書などによると、東電は同年3月13日未明、運転が不安定になった3号機の緊急用の高圧注水装置を手動で停止、注水系統を切り替えようとしたが、電源を確保できずに失敗した。
 東電は当初、この時点から「注水の空白」が生じて圧力容器内の水位が下がり始め、13日午前9時以降に炉心溶融が始まったと推定していた。
 しかし、運転員が記録していた原子炉の詳細な水位の記録が見つかり、13日未明に注水装置を停止するより7時間近く前から、すでに注水装置が機能していなかった可能性があることがわかった。これを基にコンピューターで炉内の状態を解析し直したところ、13日午前5時半頃には炉心は溶融温度の2200度に達していたとの結果が得られ、東電は「13日早朝には炉心溶融が始まっていた可能性が高い」と推定した。
2014年08月06日 16時07分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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 機能していると思っていた機器が機能しておらず、それを知らずにその機能を切ってしまった判断。機能停止のときにその事実が分かれば余分な作業をする必要はなかったのだ。東電は自分たちのプラントの構造や仕組みや機能を把握しきれていなかった、ということだろう。

 完全にメルトダウンしていたということは、廃炉作業が一段と大変になるということだ。

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2014年8月 5日 (火)

何故だ、何故死を選ぶ

 理研の幹部が自分が副センター長を務める研究棟で自殺した。STAP細胞の件で渦中にあった人物の一人だった。

 研究者が自分の研究結果の問題で研究者生命を断たれることはあるが、自身の生物学的生命をかけるような研究というのはあるのだろうか。真っ当な研究をして、当初よい結果が出たと思っても、間違いだったということはある。その場合、やり直せばよいのだ、間違いを理解し、同じ過ちを繰返さないで、成果を出せばよいのだ。

 僕は単純すぎる、牧歌的すぎるのか。今の科学の研究者の社会では通らなのだろうか。それではよい研究は育たないと思うのだが。

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2014年8月 4日 (月)

学んだことは――事故は起るということ……

 僕たちが3.11に学んだことは、どんなに安全策を施しても事故は起る、ましてやそれが不十分であれば、被害がひどくなる、ということだ。後者の典型がフクシマだ。その点を改めて思い起こせという発言を「朝日」は以下のように伝えている。

小泉進次郎氏、原発再稼働に疑義 「事故から学んだか」

2014年8月4日19時22分

 小泉進次郎復興政務官は4日、福島県会津若松市で講演し、安倍政権が進める原発の再稼働について「2回、事故を起こしたらおしまいだ。はたしてもう一度、同じような事故を起こさないと自信を持って言えるか」と疑義を呈した。

 安倍政権は再稼働を審査する原子力規制委員会の基準を「世界最高水準」とし、基準に「合格」した原発の再稼働を認める方針だ。小泉氏は、こうした政権の進め方について、「本当にあの事故から学んでいるかと思うことがいっぱいある」と指摘した。

 小泉氏は講演後、記者団に、政権が原発問題に「もっともっと強い危機感と、日本の最重要課題という認識で取り組む必要がある」と述べ、具体例として福島第一原発の汚染水問題などを挙げた。小泉氏は「事故を起こして、多くの方が人生を変えざるを得ない様々な決断を強いられ、犠牲を強いられた。それだけの重みと危機感を持って、2011年後の時代を本当に進んでいるのか」とも語った。

http://www.asahi.com/articles/ASG8463FLG84UTFK007.html?iref=comtop_6_03

 これは想像力の問題で、安倍にはそれがない、ということだ。安倍には目先の経済の問題、たとえ日本を破壊しても当座の経済、政権の安泰しかない。21世紀の、そしてその後の時代の日本を作る、という視野が、哲学がない。

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2014年8月 3日 (日)

代理出産ーータイとオーストラリア

 今日、3日夕方になってNHKのニュースが、代理出産で生まれた子供に障害があり、依頼した側が引き取りを拒否していると報道した。依頼したのはオーストラリア人のカップル、出産したのはタイの若い母親。子供は男と女の双子で、障害のない女の子は引き取られたが、ダウン症で心臓の障害も考えられる男の子の引き取りは拒否したという。

 代理母は、残された男の子については「愛しており、見捨てることはできませんでした」と話しているという頼む側の意識と、頼まれた側の意識の大きな差を感じる。単純化すれば、金で子供を買う側と、血縁関係はなくとも愛情で結ばれた親子のちがいか。

 引き取りを拒否したカップルは、もし自分たちが自然に妊娠した場合、出生前診断で異常の可能性があれば、お腹の胎児を殺すことに躊躇しないのだろうな。子育て、生きる、ということをどう考えているのだろう。

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2014年8月 2日 (土)

ウニターーまだあったんだ……

 最後の見出しが「生きている」だったそうだが、多くの人にとってそうかまだ「生きてい」たのか、だっただろう。以下の見出しと記事は今日、2日の「朝日新聞だ」だ。

イタリア伝統の左派紙「ウニタ」休刊 再発刊は望み薄

ローマ=石田博士

2014年8月2日17時36分
 旧イタリア共産党の機関紙だった左派系日刊紙「ウニタ」が、経営難から7月末で休刊した。欧州左翼の衰退を象徴する事態で、再発刊も難しいとみられている。
 ロイター通信などによると、主要株主が救済案で合意に至らなかった。休刊前の最後の発行となった31日付の紙面の見出しは「ウニタは生きている」だった。
 ウニタは1924年、マルクス主義思想家でイタリア共産党創設者の一人であるアントニオ・グラムシが発刊した。ムソリーニ政権下でも地下出版され、第2次大戦後は西欧最大の共産勢力であるイタリア共産党の機関紙として、70年代には約25万部が発行された。
http://www.asahi.com/articles/ASG8201LJG81UHBI03C.html?iref=comtop_list_int_n01

 日本の「赤旗」はいつまでもつのだろう。日本にはまだ共産党が存在しているので、当分大丈夫だろう。しかし、存在しているということは、頼りにされている、存在意味が認められている、ということではない。

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2014年8月 1日 (金)

8月だ

 今日は8月1日。昨日より気温も湿度も上がった。しっかり夏だ。

 有線放送が、先日までは振り込め詐欺に気をつけよう、というものが中心だったが、今週は熱中症に注意しよう、というものとなった。いちいち言われなくとも、余計なおせっかいだと思う。有線放送で呼びかけることにどれほどの効果があるのだろう。

 僕には単なる騒音としか思えない。

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