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2013年2月 3日 (日)

体罰という暴力もあれば、しつけというそれもある

 人に手をあげることは暴力だ。法律で罰すべきだ。そうしなければ暴力はなくならないだろう。  教育とか指導を仮面に振るわれる暴力を体罰と呼び、子供に対する親の暴力をしつけと呼んでいるうちは、暴力は終わらない。暴力の被害を受けた人は、そうでない人、暴力の被害を受けなかった人と比べ、次に暴力の加害者となる割合は高いのではないだろうか。暴力をなくす第一歩は、家庭内の、カップル間や親子の間の暴力の一掃だ。  家庭で、学校で、地域で、何かを教わる時、指導される時、暴力ではなく徹底的にコトバで指示されて、成果を上げたと自覚している人は、その経験を踏まえて、自分のコトバで次の世代に接していく可能性が高いだろう。コトバによる指示が一層効果を上げるのは、指示される側がいくらでも自分の疑問をコトバで返し、答えをコトバでもらう、というキャッチボールが行われている、両者の間にコミュニケーションがとれている場合だ。

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