10日の「読売」の記事の一部と見出しを引用する。
原発住民投票の動き、石原知事「センチメント」
(途中省略)
石原知事は「人間で一番やっかいなのはセンチメントだ。原爆のトラウマがあるから恐怖感で(原発反対を)言う」と反原発運動を批判、そのうえで「人間の進歩は自分の手で技術を開発し、挫折や失敗を克服することで今日まで来た」と述べた。
(以下省略)(2012年2月10日21時18分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120210-OYT1T01124.htm
石原は「人間の進歩は自分の手で技術を開発し、挫折や失敗を克服することで今日まで来た」と述べているようだが、人間はいつも「克服」してきたのだろうか。これまでの科学技術開発の歴史をみると、モホール計画という、地球に穴を貫通させようという巨大プロジェクトは採算性や実現することの意味を説明できず、中止された。科学技術が現在の社会に持つ、そして示す力は圧倒的だが、その背後にはそれ以上に膨大な数の「克服」できななかった「挫折」があるのだ。
石原は昨年3月の地震の後、14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べている(http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY201103140356.html)。こうした自然の巨大な力を前にして打ちひしがれた太古の人々の無力感が、占星術その他を生み出した。自然を利用する・戦うのではなく、神の意志を読み、それをもとに自然と折り合っていこうという生き方だ。
石原都知事の地震を天罰という発想はまさにそうした古代の人々の自然観の再現だ。それは彼の本性が古代人・原始人だとは言はないが、その発想は、「克服」という18世紀にフランスで定着した啓蒙思想とはかけ離れていることだけは確かだ。
大きな災害を前にして石原都知事もうろたえた、ということだろうが、彼にその自覚はあるのだろうか。個人ならともかく、都知事としては自省してもらいたいものだ。また科学技術の華々しい面にだけ目を向けるのではなく、負の面や挫折の歴史にも目を向けてもらいたい。
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