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2011年5月31日 (火)

原発事故の混迷を深めたもの――今も続く放射性物質の垂れ流し

東日本大震災後の福島原子力発電所の事故は今も進行中だ。国会の議論を聞いていると、特に自民党や公明党の議論は、論点がずれている。それは今回の事故の被災者の問題を人質に、内閣不信任案の提出を正当化するための議論をしているためだ。

ずれの最大のものは、原子力発電所の事故が現在も進行中であることを、忘れているかのような議論だ。国会で自民党などが言っている海水注入などの問題はすべてが終息して、生き延びた人々がすればよい議論だ。それを今やっても、しらけるばかりだ。

あたかも今福島の原発が安定している、放射性物質の垂れ流しをしていない、かのような認識が生まれているのは、ひとつには現実を見ようとしない問題だ。もうひとつは、最初の認識の甘さだろう。当初、最悪でもスリーマイル島事故程度とされていた。

ところが日をおって事態は深刻化し、最悪のレベル7で、チェルノブイリ事故と並ぶものだ、という認識となった、あるいはそうした認識を公表する事態に追い込まれた。また炉心のメルトダウンが震災から数日のうちに起きていることが明らかとされた。

今日、31日の国会中継を聞いていたら、社民党の阿部知子が、チェルノブイリの事故では、日本の全面積の四分の一に相当する広さの土地が避難区域に指定された、と指摘していた。3月15日ころまでに、メルトダウンやチェルノブイリ級という認識があれば、と思った。

これは日本の原子力村の人々が考えたこともないこと、考えたくもなかったこと、考えようとしても考えられなかった事態の発生だ。そうした、原子力村の能力を超えた事態、と認識できれば壊れた原子炉への対応、周辺住民の避難、汚染拡大の制圧など、米ソその他に、すぐに彼らの経験を求めることができたのではないか、と今更ながら思う。その意味で、事故についての最初の認識の甘さ、僕は隠ぺいではなく、認識能力の限界を超えていたために、甘い認識になったのだと考えている、が今日に続く放射性物質の垂れ流しをもたらしていると判断している。

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2011年5月30日 (月)

日本では原発は無理と、震災が教えてくれた

福島の原子力発電所の事故について、いろいろな情報が遅れてバラバラに出てくる。特に目につくのは重要で、深刻なものほど、遅れて出てくることだ。これは「安全神話」を脅かす情報に目をつぶろうとしているためかもしれない。

もうひとつ重要なポイントは、今日、30日になって東電社員の限度を超える内部被曝が明らかとなったことだ。その事実を東電は今月、5月上旬にはつかんでいた。これは東電が産業医を福島原発に常駐させていなかったこととあわせて、労働者の健康をないがしろにしてきたことの延長線上の問題だ。原子力を支える、技術者を含む労働者を大切にしない姿勢の反映だ。これでは原子力の現場を支える人々の士気が上がるはずはない。

元々原子力は、最先端の学問として、科学としては、広島と長崎への原爆投下で終わっているのだ。その後に出てきた、潜水艦や発電所への応用は、特殊な利用例だ。原子炉事故は一定の大きさのものとなる、失敗は許されない。

その意味で原子力技術は失敗を繰り返して、成熟し安全なものとなる、安全なものとしていく、技術とは異質なものだ。原子力発電所は、失敗を繰り返して成熟するという道を歩めない、不完全なままの技術、ということになる。

不完全なままで、成熟することない技術と付き合わされる、お守を任される技術者の士気は上がるはずがない。事故をめぐる情報の混乱は、こうした士気の低さが一因だろう。それを放置、助長する電力会社に、原子力発電という危険な未熟な技術を任せることはできない。

現場も、本社も、今も混乱している。東日本大震災以前は隠されていた、無秩序、士気の低さ、無責任、だれも責任を取らない電力会社、それに輪をかけた役所の実態が明らかとなった。一日も早い高速増殖炉「もんじゅ」と原子力発電所の廃炉が必要だ。

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2011年5月28日 (土)

今更原発安楽死ねぇだけど、推進よりはいいか……

以下は今日、28日の「読売」の見出しと記事の一部だ。

小泉元首相「自民党政権も原発を推進し過ち」
 小泉元首相は28日、神奈川県横須賀市で開かれたシンポジウムで講演し、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関し、「自民党政権も原発を推進し、過ちもあった。これから原発を増やすのは無理で、大事なのはいかに原発への依存度を下げていくかだ」と述べた。
(以下省略)
(2011年5月28日20時00分  読売新聞

今になって「過ちもあった」もないものだが、こういう発言が記事になるのは、元首相というだけでなく、いまだに原発復権を、生き残りを策している政治屋が多いせいだろう。しがらみのない元首相はまともなことを述べ、しがらみのある人は頓珍漢なことを言って平然としている。

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2011年5月26日 (木)

友達も半信半疑――東電の工程表

以下は今日、26日の「読売」の見出しと記事の一部、それとドタバタを報じる記事の見出しだ。

工程表達成の確率は60~70%…NRC委員
 【ワシントン=山田哲朗】米原子力規制委員会(NRC)のウィリアム・オステンドルフ委員は25日、米上院環境公共事業委員会の公聴会で、福島第一原子力発電所の事故収束に向けた東京電力の工程表に関し、4月の公表後6か月から9か月で原子炉の冷温停止に至るとするスケジュールを、東電が達成できる確率は6割から7割とする見解を示した。
以下省略
(2011年5月26日11時14分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110526-OYT1T00387.htm

海水注入は継続していた…原発・吉田所長が判断

(2011年5月26日15時29分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110526-OYT1T00685.htm?from=top

福島原子力発電所事故現場、指揮所、首相官邸間の情報が錯綜している。こうしたドタバタをNRCが確認すれば、友達の期待確率はさらに下がるだろう。また問題は、「中断」していたとされた時間帯は、すでにメルトダウンし、水素爆発後なので、1時間程度の中断があっても大勢に影響のないことを、さも大変な問題であるかのように、取り上げるマスコミ、そして野党の原子力知識の欠如であり、またそれを指摘できない政府与党も等しく原子力知識を欠いているという現実だ。

僕は、福島原子力発電所の状況は、日一日と悪化しており、石棺しか道はないと思っている。まあ僕は当初からそう言っているのだが。

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2011年5月25日 (水)

電力改革は発送電の分離と全国60サイクル化からスマートグリッドへ

狭い日本で、供給される電気は東日本では50サイクル、西日本では60サイクル。これでそれぞれの大きな「縄張り」が確定されている。その縄張りをさらに強固なものにしているのが、発電と送電を電力会社が一手に握っていることだ。

発送電を分離するなら、電気のサイクルを全国的に一律にする、現在の発電量からすれば60サイクル化が現実的、ということなしには、単に送電網を電力会社から取り上げただけとなるだろう。発送電の分離により電力会社の地域独占を打ち破ろうとするのであれば、風力や地熱などの自然エネルギーにより作られた電気を取り入れやすい道を開く必要がある。そのためには、まず送電網以上に縄張り確立機能を果たしている、50と60サイクルという、仕切りを取っ払うことが必要だ。

発電装置が60サイクル一本となれば、風車にしろ、地熱にしろ、波力にしろ、回転部分の仕様が一本化され、その分改良やコストダウンが期待できる。経過的措置として、現在の60と50サイクルの変換装置を使いながら、60サイクルの発電所を増やしていくことで、10年もあれば、全国60サイクル化が達成できるだろう。多様な発電を機能させる第一歩が、発送電の分離と全国60サイクル化で、その次に位置しているのが、スマートグリッドという、配電網の整備だ。

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2011年5月24日 (火)

原子力村の方言に気づかぬ「専門バカ」(これはすぐにバカ専門になる)

以下は今日、24日の「朝日」の見出しと記事の一部だ。

再臨界可能性「ゼロではない」は「事実上ゼロ」 班目氏

2011年5月24日13時28分
 東京電力福島第一原発1号機への海水注入が3月12日に一時中断された問題について、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長は24日午前の衆院復興特別委員会で「(海水注入の際に菅直人首相らに)『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味だ」と述べた。

なぜ最初から「事実上ゼロ」と言わないのだ。原子力村の中での話なら「ゼロではない」という言い方も許されるだろう。しかし、村外の人々が多数いるときの議論で、村の方言や論理を振りかざすのは、視野が狭く、多くは専門バカ、と軽蔑される。

専門バカは自分の世界しか見ないから社会とずれ、すぐバカ専門になり下がる。元東電の副社長は先日「朝日」のインタビューに、反原発の科学者で、自分が知る限りまともなのは高木仁三郎だけだと言っていた。僕が知る限り、推進派の科学者でまともなのは一人もいない。

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2011年5月22日 (日)

4重苦にあえぐ日本人はまた被曝モルモットになるのか

長崎・広島の原爆被害によって生み出された被曝者は、どの程度の放射線を浴びると危険かの目安とされている。原爆は中身の放射性物質が百万分の一秒で、核分裂を完了するので、極めて短期間の放射線被曝だ。

英国や仏の核処理施設周辺での白血病の増加について、低線量被曝の影響が指摘されている。英仏両政府は認めていない。1977年に米国のトーマス・F・マンクーゾ(1912-2004年)が警告した低線量被曝を長期間続ける危険性が事実であることを示している。

スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)ではメルトダウンあるいは爆発は起きたが、その後水冷が可能となったり、セメントで固めた(石棺)ことで、放射性物質の拡散は比較的短時間で抑え込まれた。

しかし福島では、今後もじわじわと放射性物質が放出され、拡散する可能性がある。これまでの避難地域・地区の指定を見ていると、20キロ圏という大雑把なくくり、あるいは町村毎のくくりでしてしており、詳細に放射線量を調べての措置ではない。その結果、避難すべき人が避難のチャンスを失い、必要のない人が避難する、ということも生まれている。

この結果、避難の必要がないのに避難させられた人と、必要なのに汚染地に留まる人という二つのグループが生まれることになる。この方たちを1年、3年、10年と経過観察すると、低線量被曝がヒトにどのような影響を与えるかについて、知見をもたらすことになるだろう。

しかし福島の人々は、そのような知見をもたらすことより、避難すべき人が避難し、そうではない人はデータに基づいて、安心して自分の家で暮らす、道を望んでいる。

今日、5月22日の「日経」の記事に、政府は原発周辺の放射能汚染に感度が鈍い 健康調査・汚染地図作りを急げがあるが、現在の政府の「感度」は何事も、こんな調子なのだろう。国民は地震・津波・原発事故、それに鈍感な政府という4重苦にあえいでいる。

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2011年5月19日 (木)

地震国日本に原発を建設した失敗

3月11日の東日本大震災は、地震予知の盲点を突く巨大地震だった。地震学者の何人かは日本独特の「地震予知」の失敗を認め、新たなアプローチで地震の解明を行うべきだという論文を発表した。

従来の地震予知のデータに基づいて、菅政権は浜岡原子力発電所の運転停止を求め、中部電力は受け入れた。従来の地震予知の信頼性が根底から揺らいでいるときに、その知見に基づいた、停止要請。それを受け入れた電力会社。

日本の地震学のお粗末さは、日本の原子力のお粗末さと通じている。お粗末な地震学とお粗末な原子力がもたれ合って成立しているのが、日本の原子力発電所だ。問題の立地は福島と浜岡だけではなく、日本の原発すべてに言えることだ、それを菅は明確に言うべきだろう。

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2011年5月18日 (水)

人骨(ほね)の会のホームページのアドレスが変わった

今朝、18日朝、僕たちの「軍医学校跡地で発見され人骨問題を究明する会(人骨(ほね)の会)」でホームページを担当している仲間から、会のアドレスが諸般の事情で、意図しないのに変わったとメールをもらった。

新しいアドレスは以下のようになった。
http://www.geocities.jp/jinkotsu731/
軍医学校跡地での調査の最新情報や、毎年恒例の夏の集会の案内も掲載されている。

調査は予定が伸び、まだ継続中だ。福島の原子力発電所と同じで、想定外の障害、旧軍による堅固なコンクリートの基礎の出現など、があり予定通り進んでいない。しかしこの延期、年度をまたいでの調査は、着実に調査をしているため、と僕は評価している。

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2011年5月16日 (月)

隠されてきたメルトダウン

福島の第一原子力発電所では地震当日の3月11日にメルトダウンが始り、12日の朝には圧力容器の底部分に穴が開いたことを、東電は5月15日になって、分析の結果として明らかにした。同窓の、藤田祐幸は11日、あるいは12日の夜のテレビ番組で、既にメルトダウンが起きているはずだと、指摘していた。その結果、彼はテレビ各局から呼ばれなくなり、代わりに、何も分かっていない、東大などの原子力専門家が「たら・れば」の甘い前提で、楽観的見通しを話し続けていた。

メルトダウンということだと、さらに上記は1号炉についてだが、その他の炉でもそれが起きていたら、環境にばらまかれた、また圧力容器内に残る、放射性物質の量はこれまでの推定をはるかに超えるものとなるのではないだろうか。じゃぶじゃぶと水で「冷やす」という作業で、しかもその水の半分以上を「行方不明」とすることで、メルトダウンで発生した放射性物質隠しと、海などへの環境への垂れ流しをしているのではないかと心配している。政府も東電も、事故に対してまともな対応ができていないが、情報隠しや証拠隠滅には長けていることだけは確かだ。

明日また工程表の改定版が出るようだが、それを信用する人はどれだけいるのだろう。

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2011年5月13日 (金)

原発世代というのはあるのだろうか

現在40代以下の人は、中学校や高等学校で原子力発電所は安全という神話が教え込まれた世代かもしれない。そして生まれた時から原子力発電所が動いていた。それより上の人にとっては、原子力は原爆という負の歴史を背負った鬼っ子、という意識はないだろうか。

原子力発電所は原子核分裂の熱で湯を沸かし、蒸気を作り、それで発電する。原爆は百万分の1秒ですべての核物質の分裂を起こすの対して、湯を沸かす場合は、ゆっくりゆっくり核分裂を継続させる。原子力で湯を沸かす際の最大の課題は「暴走」を防ぐことだ。

原子力発電は時速200kmのスーパーカーで田んぼのあぜ道を走るようなものだ。別の言い方では、ダイナマイトを小さな小さなそれに分割して、それで湯を沸かすようなもので効率が悪い。ウランとは別のじわじわ核分裂を起こすが爆弾に向かない物質があれば話は変わる。

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2011年5月12日 (木)

東電工程表は机上の空論

公表から1ヵ月も経過していないのに、工程表に関し想定外の事態発生が明らかとなった。1号炉の燃料棒が溶け落ちていることがはっきりした。工程表の見直しは必至だ。

どうやら工程表は、具体的な裏付けに基づいた作業の段取りを表にしたものではなく、ただ今後の段取りをリストしたものらしい。時間軸を付けたのは、そうしないと期限もはっきりせず、東電の自信のなさがバレてしまう、ということだろう。

2ヵ月経過しても、放射能を含んだ水はあちこちから漏れ出て、一部は海を汚染し続けている。そして空気も汚染し続けている。事態は一向に改善されておらず、実態が分かるにつれて、行程表が願望でしかないことが少しずつ暴露されていく。

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