日本人ジャーナリスト殺害
昨日、27日、ミャンマーで日本人ジャーナリストが殺された。悪い予感が当たった。
最初、流れ弾に当たって…、という報道を聞いたとき、最近読んだ『テレビニュースは終わらない』(金平茂紀著、集英社新書)を思い出し、ひょっとして「狙い撃ち」されたのでは、という悪い予感が頭をよぎった。
夜7時のNHKニュースで動く映像を見たら、日本人ジャーナリストは真後ろ1メートルもないところから銃で撃たれている。これと、イラクで遠くのアルジャジーラなどの支局を攻撃するのとどちらがたちが悪いのだろう。比較することは無意味だ。
一方は洗練された狙撃で、他方は荒削りな銃撃、という見かけ上の違いだけだ。
ジャーナリストを恐れ、市民の目を恐れ、世界の耳目を恐れる、軍隊の本質が引き起こした殺戮だ。
明日は、沖縄で集団自殺に日本軍の関与を認めず、そうした記述を教科書から抹殺した日本政府の決定に対する反対集会が沖縄で開催される。
沖縄は車社会だ。そのための駐車場を確保する必要がある。ところが米軍は、通常は開放している(元々は沖縄の人々の)土地を駐車場として利用することを禁止したという(「米軍が市民広場閉鎖 県民大会参加者輸送に影響」「琉球新報」〔http://ryukyushimpo.jp/])。
米軍もミャンマー軍もその他の軍隊も、その本質は「人民解放軍」などという名前の実態が「人民抑圧軍」であるのと同じなのだろう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント