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2007年6月30日 (土)

久間発言――前長崎市長は浮かばれない

原爆投下「しょうがない」久間発言、野党が辞任求める構え(22じ:32分

これは「読売」の見出しだ。
http://www.yomiuri.co.jp/

彼は前の長崎市長、伊藤一長が選挙戦のさなかにピストルで殺されたとき、言論が凶弾で封殺されたことに触れず、選挙制度の不備を指摘していた。その「冷静」な対応を改めて思い出している。

天国で、前の市長はどんな思いで久間発言を聞いただろうか。

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神話に惑わされる防衛相

とんでもないことを、長崎出身の防衛大臣が言っている。以下は「日経」に載った「共同」の記事だ。米国追随史観の典型だ。自分の頭で考えてもらいたい。

久間防衛相、米国の「原爆投下しょうがない」
 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。野党や被爆地からの批判は避けられない見通しで、参院選に影響する可能性も出てきた。安倍政権は新たな火種を抱えることになった。
 久間氏は講演で、旧ソ連が当時、対日参戦の準備を進めていたと指摘。その上で米国が旧ソ連の参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と強調した。
 また「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べた。〔共同〕  (14:02)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070630STXKG015830062007.html

久間大臣が言うような、「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている」という考え方が出てくるのは、広島・長崎に原爆が投下された直後からだった。

そしてこうした「考え方=屁理屈」が米国で出てきたのは、原爆の非人道性・非倫理的性格から、米国国民の目をそらすためだったと、指摘する研究者は米国にもおおい。

原爆が終戦を早め、多くの人命が戦場で失われることを防いだという言説を「八月の神話」と捉えた本もある。ケネディおよびジョンソン政権で内務長官を務めたS・L・ユードルの『八月の神話』(1995年、時事通信社)だ。

当初、ユードルの関心はウラン鉱山で働き、後遺症に苦しむナバホ族の人々の被害回復にあった。しかしその被害の歴史をたどるうちに「八月の神話」に行き着いたのだった。

久間大臣も、自分で調べて発言したもらいたい。

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2007年6月29日 (金)

無責任の見本

以下は「慰安婦決議『コメントしない』と首相」という「産経」の記事だ。よほど悔しかったのだろう、コメントしないと言いながらコメントをしている。その内容もお粗末だ。

 安倍晋三首相は27日夕、米下院外交委員会が従軍慰安婦問題で日本政府に公式謝罪を求めた決議案を可決したことについて「米議会の決議だからコメントするつもりはない」と述べるにとどめた。
その上で「(4月の)訪米の際、私の考えは説明している」として、「おわびと反省」を表明した平成5年の河野洋平官房長官談話を継承する立場を重ねて強調した。同時に「米議会ではたくさんの決議がされている。そういう中の1つだ」と指摘した。
(2007/06/27 20:03)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070627/shs070627003.htm

記事の、「『米議会ではたくさんの決議がされている。そういう中の1つだ』と指摘した」というのがまさに決議に対するコメントだ。

何故これがお粗末なのだ。米議会でたくさんの決議がなされることは事実だ。しかし、日本を名指しで、謝罪を求めるような決議はどれほどあるのだろうか?貿易摩擦がひどかった頃は、対日批判・非難めいた決議はあったが、近年どうだろう。

安倍首相は、こうした近年なかった米議会における対日批判決議を導き出した日本の総理、ということになる。その認識はどの程度あるのだろうか?

昨日、宮沢喜一元首相が亡くなった。彼はこの決議をどう捉えていただろう。知りたい。

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2007年6月28日 (木)

法律家の社会常識

少し前に明らかになったことだが、司法試験の出題・採点者が自分の教える大学で、自分の出題に類似の問題を作り学生に解答させていたこ。この件で、法務省はその人物を解任することになった、という。

新司法試験の類題演習、慶大教授を考査委員から解任へ 

法科大学院の修了生を対象にした今年度の新司法試験で、出題と採点を担当する「考査委員」を務める慶応大法科大学院の植村栄治教授(57)(行政 法)が試験問題の類題を事前に学生に教えていた問題で、法務省は27日、植村教授を考査委員から解任する方針を固めた。週内にも正式に発表する。Click here to find out more!
 植村教授は、先月中旬に実施された新司法試験への対策として、今年2~3月、同大学院の学生を対象に答案作成の練習会 を実施し、実際の試験問題と類似した論点について説明した。また、試験で書いた論文を再現したものがあれば個人的に採点するとした一斉メールも学生たちに 送った。
 法務省は〈1〉考査委員には答案練習会などの受験指導を行わないよう要請していたのに、これに違反して試験制度への信頼を損なった〈2〉個人的な 採点を行えば、採点基準に関する守秘義務違反になる恐れがある――などの点を重視し、解任の方針を決めたとみられる。解任により、7~8月に予定されてい る採点作業に関与できなくなる。同省は「旧司法試験時代も含め、考査委員が試験問題を巡る不祥事で解任されるのは初めてではないか」としている。(2007年6月28日3時2分  読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070628i101.htm

記事によれば、「旧司法試験時代も含め、考査委員が試験問題を巡る不祥事で解任されるのは初めてではないか」、ということだが、これは近年法律家の「社会常識」が地に堕ちたのか、それとも大学教員の質はその程度と考えるべきなのか?

僕はむしろ、昨今の裁判の傾向、また一般人の常識を取り入れるという触れ込みの裁判員制度から考えると、法律家の社会常識の欠如がここまで来た、ということではないかと思っている。

そういうこともあり、昨日「自分の頭で考えない?」を書いた。

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2007年6月27日 (水)

自分の頭で考えない?

最近気になることは、何か不祥事が起き、それを調べる組織ができると、その長に法曹界出身の方が委員長を務めることだ。

直近の例では、年金記録の問題の原因と責任の所在を解明するために総務省が設けた、年金記録問題検証委員会の座長の松尾邦弘氏は前検事総長だ。こうした例が目立っている気がする。

元検事総長、元裁判長、元弁護士会長、それなりに有能な方が多く、その方々の力量故に気になっているわけではない。十分な能力は認める。もっとも最近の朝鮮総連本部の土地と建物取り引きに登場したような法曹界の重鎮(複数)もいるが…。

問題が起きた時に、その法的側面を押さえることは必要だが、それは社会における最低限のルールではないのか。法律的に問題なければ、それで良いのか、ということを僕は考えている。

必要なことは、法を踏まえた上でどれだけのことをするか、できるか、ということではないのか?善意に、深く考えれば、やることは際限なくなるだろう。それをどこかで線を引くこと、それを自分の責任で行なうことが、選挙で選ばれた政治家(選良)の仕事ではないのか。

そう、自分の頭で考えて結論を出すのは、ケースによって、事例によって良く調べ判断する必要がある。それがノブリス・オブリージュ(高貴な人の義務、選良の義務)という考え方ではないか。

物事の法的側面を押さえることは必要だが、その任にある人は自分の頭で考え、その足りない部分を人道的・哲学的・歴史的…に考え抜く必要ああるのではないか。それを放棄し法律家に「丸投げ」している、と見えるので僕は違和感を覚えるのだ。

今回の年金問題で、たくさん受取るボーナスの一部を返納する、というパフォーマンスを多くの政治家やお役人がやることは、責任を取る行為ではなく、責任をうやむやにする方策だ。

総理大臣の責任が重大であることはその通りだ。これまで長年にわたり首相を出してきたのは自民党だ、その責任はどうなるのだ。自民党を第一党にしてきた僕たち有権者の責任も重大であることは分かっている。

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2007年6月14日 (木)

梅雨入り

関東地方も今日、梅雨入り。

梅雨入りと入れたら、梅雨入り、入梅、それに全部ひらがなとカタカナの4種類が出た。文字の感覚として、僕は入梅よりも梅雨入りの方が風情を感じる。入梅というのはいかにもうっとうしい雨空続き、とイメージしてしまう。

このところずっと締め切りを気にする日々が続いていた。昨日、13日締め切りの分で、それも一段落。ほっとしているところだ。

ところが昨日から、今日朝から雨で、梅雨入りだろうという予報。案の定、朝食後すぐに雨が落ちてきた。それでもたいした降りではないので帽子を持って、散歩に出かけた。午前中に散歩するのはとても久しぶりだ。

曇り空で、海の色もきれいではなかったが、日差しがなくそれほど暑くなく、夏場の昼間の散歩はこういう日に限るかな、と思いながらゆっくり楽しんで歩いた。

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2007年6月 6日 (水)

嬉しかった――偶然というか奇跡と言うか

今日いつもより1時間早く家を出て、都内に出かけた。映画を見るためだ。

映画は米国のもので、古い記録映画だ。小さな貸しスタジオで、10人足らずで見た。

僕に話を持ってきた人の手配で上映が始まり、1時間ほどで数本の映画を見終わった。その後雑談をしながら映画の出自をいろいろ聞くことになった。すると、もう一人の映写技師だとばかり思っていた人が積極的に話し始めた。そして、だいぶ詳しい話が分かってきた。

彼はかつて僕の大学に在学した学生の父親で、どうやらフィルムの本当の持ち主らしい。これから何かと行き来を持つことになるだろう。

映画の後、元学生を呼び出し、一緒に昼食を取った。元学生も何故自分の父親と僕とが出会ったのか、不思議そうだった。僕もはじめ父親の話が半信半疑だった。

こういうすごい偶然もあるのだから面白いなと思った。

元学生は、学生時代とても素晴らしい学生だった。今は社会人として、しっかり生活しているようだった。そうした元学生と再会できたことが、今日いちばんの収穫だ。

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