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2006年10月25日 (水)

JR東海はどうなっているのだ?

今朝、東海道新幹線が2時間止まった。

原因は人身事故だが、事故にあったのはJR東海の社員だった。

「読売」は次のように伝えている。

 静岡市のJR東海道新幹線静岡駅の下り通過用線路で25日、男性がはねられて死亡した事故で、この男性はJR東海静岡支社の社員(31)(静岡県三島市)だったことが静岡県警の調べでわかった。県警は目撃証言などから自殺とみている。
途中省略
 記者会見したJR東海の石津一正・静岡支社長(57)は「安全を守るべき立場の当社社員が遅延の原因を作ってしまい、ご迷惑をおかけしました」と謝罪した。
(2006年10月25日21時26分  読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061025i315.htm?from=main3

鉄道会社の社員が自社の線路を死に場所に選ぶというのは、よほど会社に恨みがあったのではないか、と想像してしまうがどうなのだろう。

少なくともこの31歳の社員の行動は、JR東海という会社が病んでいることを示している。

以前も書いたが、今年3月、新幹線京都駅ではJR東海の若い社員がシャッターを閉めた時、下にいた人を殺している。数ヶ月前にはJR東海の年配の社員が酔って京浜東北線を止めている。

東海道新幹線に乗ることがますます不安になる。

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2006年10月21日 (土)

核廃絶地球市民集会ナガサキ

北朝鮮が核実験をした。

日本の政治家はそれで、日本も核保有の是非を議論すべきだ=日本も核保有すべきだ、とかまびくしく声を上げている。

何かそうした日本の政治家=政治屋=二大目、三代目の彼らの多く、の願望=核保有=誰に対して使うの?を打ち破る基調報告があった。

基本は、核を使わない持たない、その一点なのだ。それを英国からの招待スピーカ―、レベッカが言っていた。

なぜ今、北朝鮮の断末魔、だと僕が思う状況に悪乗りして、日本の核武装を考える必要があるのか?

これこそ姑息だ。

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2006年10月20日 (金)

エスカレートしている―――姑息なやり方

以下は「朝日」のサイトの見出しだ。

「日本の核保有、中川政調会長『議論すべきと確信』」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061020ia23.htm

じわじわと既成事実を作ろうとしている。

北朝鮮の核実験もどきを徹底的に利用しつく算段のようだ。

そのことだけは言っておかなければ。

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2006年10月19日 (木)

なし崩しに核武装?

先日自民党の中川政調会長が核武装について議論をと言い出した。これは10月15日、テレビの番組でだった。

ところが反発が強かったせいか、翌16日には、「自分は核武装反対である」と「釈明」した。

それから数日、18日になって今度は外相の麻生が核保有についての議論は良いのではないか、と発言した。

そしてその翌日の今日、内閣官房長官、塩崎が、麻生発言は非核三原則遵守を前提に「ご本人のご判断での発言だと思っている。閣僚として外れていることを言っているわけでは決してない」と擁護している。(http://www.asahi.com/politics/update/1019/009.html)

何かじわじわと、核武装に向けてうごめいている感じがする。

とりあえずは、こうした動きの存在を認識した上で、対抗策を考えなければならないが、どうすればよいのだ。

僕たちにできることは「世論に訴える」ことだ。より具体的なデータで、核を持つことの無意味さを訴えることが必要だろう。実は、無意味どころが、順番で言えば、有意味→無意味→マイナスの意味(損失)で、核は最後のマイナスの意味、すなわち人類にとっての損失であることを示す努力が必要だ。

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2006年10月17日 (火)

ドイツ解剖学会声明の訳文

グンター・フォン・ハーゲンス博士の悪名高いボディーワールドショーに関する解剖学会の声明

G・フォン・ハーゲンス博士によるボディーワールドショーについて公的に議論を行った結果、解剖学会の評議会が以下の声明を発表するよう勧告します。


人体解剖の仕事は、ヒトの一般的な形態学的なパターン、および機能と機能障害に対する洞察を得るために解体によって人体の構造を分析することです。解剖学者は、学生と医師、そして自分自身の身体と生物学に興味があるすべてに人々に、自分の研究の結果を伝えなければなりません。解剖学的知識は現代医学を支えており、人類の構造学的・生物学的性質を理解するために不可欠です。解剖学的研究は、厳しい科学的な規則に従います。現代の解剖は身体の肉眼で見える検査のみで成り立っているわけではなく、最新技術を用いて細胞と分子を分析します。これらがあらゆる生理学的ないしは病理学的プロセスにおいて不可欠の関与をしている。解体と肉眼解剖学の科目は、解剖学を理解し、教えるために絶対的に必要です。しかし、この肉眼による観察は、「一貫した」全体的アプローチを採用する解剖学的カリキュラムのほんの初歩的部分に過ぎないのです。その全体的アプローチとは、(生体に関する自己検査と実証を含む)肉眼で見えるレベルから細胞生物学および分子レベルまで、(組織学的および位置的解剖学である)空間的広がりから(発生学的および進化論的解剖学である)時間的広がりまで包摂するものです。この概念上の統合が、現代の解剖学を理解し教えることの中心です。 

解剖学を教えるには、学生の注意と関心をとらえる必要があります、しかし、聴衆をひきつけるには、真の仕事 知識の伝達 が必要です。教育的な原則は、昔の見世物のような解剖から借りてくることでは断じてありえません。現代の科学的な解剖学を市民に示すには、先の概念と解体という行為を結合する必要があります。このやりがいのある仕事には、高度で教育的な方法と、教師および聴衆両者の関与が求められます。 

医学において、解剖学は厳しい倫理コードを尊重しなければならなりません。解剖学的解体は、ドナーの書面による同意があってのみ実行しうるものです。この原則のもとに、ドイツの解剖学者は非営利の「献体プログラム」を発展させてきました。このプログラムでは、遺体を火葬にするか、土葬にするか、あるいは長く保存されるものとなるかは、ドナー自身が決めることになっています。 

G・フォン・ハーゲンス博士のボディーワールドショーは、これらの解剖学会の原則にことごとく違反します。

解剖学会理事会:

教授B・クリスト博士(フライブルグ)

教授D・ドゥレックハーン博士(ブルツブルグ)

教授R・ファンク博士(ドレスデン)

教授B・テルマン博士(キール)

教授W・キューネル博士(リューベック)(幹事)

〔教授HW コルフ博士(フランクフルト・ノイ・イーゼンベルグ)と教授W・ノイハウバー博士(エルランゲン)が協力〕

教授W・キューネル博士

リューベック大学

解剖学教室

  Ratzeburger Allee 160,

 D-23538  Lübeck

Email: kuehnel@anat.uni-luebeck.de

 


この訳文は元々は福島医科大学の末永恵子さんが用意されたものです。その訳文を、一部僕が日常使っている表現に変更している部分があります。それによって末永さんの訳文の正確性を損なったとすれば、それは言うまでもなく僕の責任です。

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2006年10月16日 (月)

ドイツ解剖学会の抗議声明:俗悪な見世物としての人体の不思議展

以下に引用しているのは、IFAA(国際解剖学会)のニュースレター、'Plexus'の2004年12月号に掲載されたドイツ解剖学会委員会による、ハーゲンス博士の'Body-World-Show'に対する抗議声明の原文だ。

これはIFAAのサイトで読むことができる。
http://www.ifaa.net/PLEXUS_DECEMBER_2004-FINAL.pdf

この18ページに掲載されている。訳は後日アップします。

NEWSLETTER OF THE INTERNATIONAL FEDERATION OF ASSOCIATIONS OF ANATOMISTS

DECEMBER 2004

Statement by the Anatomische Gesellschaft on the infamous Body-World Show of Dr Gunter von Hagens

The public dispute about the Body-World Show of Dr G. von Hagens urges the Council of the Anatomische Gesellschaft to publish the following statement:

The task of human anatomy is to analyse the structure of the body by dissection in order to gain insight into the general morphological pattern, function and dysfunction of man. Anatomists have to communicate the results of their investigations to students and medical doctors - and to all those who are interested in their own body and biology. Anatomical knowledge underpins contemporary medicine and is indispensable for understanding the structural and biological nature of mankind. Anatomical investigations follow strict scientific rules. Modern anatomy consists not only of macroscopic examination of the body, but, by using modern techniques, it also analyses cells and molecules as essential players in any physiological or pathological process. Dissections and gross anatomy courses are definitely required to understand and teach anatomy, but this macroscopic view is only the first part of the anatomical curriculum which embraces a “vertical” holistic approach, from the macroscopical level (including self-examinations and demonstrations on living subjects) to the cell biological and molecular, from the spatial dimension (systemic and topographic anatomy) to the temporal (embryology, evolutionary anatomy). This conceptual integration is central to the understanding and teaching of modern anatomy.

Those teaching anatomy need to capture the attention and interest of the students, but the engagement of an audience has to serve a genuine task – the transmission of knowledge; didactic principles cannot simply be borrowed from the spectacular anatomy of the old days. To demonstrate contemporary scientific anatomy to the public it is necessary to combine concepts and dissections. This challenging task asks for sophisticated didactic methods and a commitment from both teachers and the audience.

As a medical discipline, anatomy has to respect a strict ethical code, anatomical dissections should only be performed with the written consent of the donor. Following this rule, the anatomical departments in

Germany

have developed non-commercial “willed body programs” allowing the donors to decide whether their remains are to be cremated and/or buried or may be used as permanent preparations.

The Body-World Show of Dr G. von Hagens severely violates these principles of the Anatomische Gesellschaft.

The Board of the Anatomische Gesellschaft:

Prof. Dr B. Christ (Freiburg), Prof. Dr D. Drenckhahn (Würzburg), Prof. Dr R. Funk (Dresden), Prof. Dr B. Tillmann (Kiel), Prof. DR W. Kühnel (Lübeck) (Secretary*), in cooperation with Prof. Dr H.W. Korf (Frankfurt/N) and Prof. Dr W. Neuhuber (Erlangen)

 

Professor DR W. Kühnel

Universität of Lübeck

Department of Anatomy

Ratzeburger Allee 160,

D-23538 Lübeck

Email: kuehnel@anat.uni-luebeck.de

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2006年10月13日 (金)

人体部品展示会への対応が原爆で吹っ飛んだ

明後日、15日、日曜日、人骨(ほね)の会の月例会がある。

その時に、今後の方針や、その前にこれまでの各種の対応とそれに対する反応を見極めよう。

それからどうするか考えよう。

どうするかははっきりしている。

問題は僕たちがどのような工夫・アイデアでなすべきことを実現するかだ。

さあ!元気を出して!というところだ。

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2006年10月11日 (水)

北の核実験で思うこと

ロシアの情報収集能力の問題と、実質的に韓国が核保有国となったこと。

以下は「朝日」の記事の一部だ。

北朝鮮核実験、一部不発の可能性 小さい波形、残る謎
2006年10月11日08時23分
 「核実験」の規模は、10日改めて「TNT火薬換算5~15キロトン」と主張したロシアを除くと、米国やフランス、韓国の研究機関や専門家らは推定0.5~1キロトンでほぼ一致する。広島原爆の30分の1~15分の1。核爆発としては非常に小規模だったことになる。
http://www.asahi.com/international/update/1011/005.html

先日の北朝鮮によるミサイル試射の時もロシアの情報は、一見もっともらしかったが、結局何もつかんでいないことが明らかとなった。今回も、それと同じことになるのではないか、と思っている。どの報道機関かは忘れたが、ロシア高官が自国の判断の正しさについて、最も近い国はどこか、と述べていたことが報じられていたが、これが裏目にでないといいけれど…。

もう一点、北朝鮮は今、断末魔という状況だろう。いずれ韓国に吸収合併されるのではないか。その時に韓国は、核を放棄させてから救済の合併に進むだろうか、それともそうした「面倒」な手続なしに、行くだろうか。僕の予想では後者だ。

となると、ドミノ的に、日本の世論は「核を持て」となるか。そうしたことも考えて、これから先を見て、行動する必要がある。

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2006年10月10日 (火)

何故だ?

それが北朝鮮の核実験を聞いての、多くの人の思いだろう。

10月9日、午前10時30分過ぎ、北朝鮮は地下核実験を行なった、と発表した。9日昼前、TBSのニュースを見ていたら、北朝鮮で核実験の兆候、といった速報を伝えていた。内容はソウル支局長が、韓国では現在、大統領以下が集まり緊急の会議を開催している、ということだった。

緊急事態だったのだろう、ソウル支局長であるとも、支局長の名前が誰であるかも、字幕は出なかった。最初はまたTBSはドジッタかと思ったが、いち早く特ダネを伝えるためだったのかもしれない。すぐにチャンネルを回したが、他局ではそのことに触れた報道はなかった。それから約10分後、12時からのニュースでNHKが核実験のニュースを伝えていた。その後NHKは午後の時間の多くをこのニュースの報道に費やした。

どこが最初に報じたかはとにかくとして、何故だ、という思いがふつふつと沸いてくる。

そこまで北朝鮮の独裁者は追い詰められているのか、ということは分かる。それでこうした国家の行く末を危険に晒す賭けを行なったのだろう。国家存亡の時、独裁者は滅びるが、それは当然のことだ。一般の国民は自国の崩壊という混乱に巻き込まれ、今以上の食糧不足や医薬品の不足に見舞われることだろう。

今の北朝鮮の国民は、それすらも「生みの苦しみ」として受け入れざるを得ないのだろうか…。

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2006年10月 8日 (日)

日本にとんでもないおっちょこちょいがいたということか?

人間の価値展のドイツと人体の不思議展のドイツを考えた。

人体の不思議展にまつわる問題を考えているうちに人間の価値展を思い出した。

どちらの「展」もルーツはドイツ、といっていいだろう。いいだろう、とあいまいな言い方をしている。

人間の価値展は最初、ドイツのベルリンで1989年に開催された。日本では1993年に各地で開催された。その他米国などでも開催されている。

「人間の価値」に関しては、Ch. プロス/ G. アリ編『人間の価値----1918年から1945年までのドイツの医学』林功三訳(風行社、発売・開文社出版、1993年)が参考になる。この展示はナチス医学の反省のためにベルリン医師会が提案し、最終的にはドイツ(当時西ドイツ)医師会が取り組んで、実現した。

人間の価値展の主催がドイツ医師会であったことは、日本で1993年から2年近く開催された似たような企画、731部隊展とは大きな違いだ。後者を実現したのは、展示物の準備から開催まで全て草の根の力だった。

他方、人体の不思議展。世界最初の展示はどうやら1995年、日本の科学博物館でのそれのようだ。その開催に当たってのチラシは9月24日の投稿に入れてある。そのチラシを見ると、主催は国立科学博物館、日本解剖学会、それに読売新聞社だ。後援が文部省や厚生省、それに関東地方の各県の教育委員会だ。前述の731部隊展の体制とはえらい違いだ。

不思議展の標本の製作はドイツだが、そのドイツでの不思議展の開催は2001年が最初らしい。その後、米国では2004年に開催されている。

こうした調査結果をもとに考えると、不思議展を陽のあたる場所に引き出したのは、日本のおっちょこちょいらしいことが判断できる。その人物が、新しい試みに飛びつき、解剖学的な「修飾」・「修辞」を施し、役所や新聞社に持ち込み、彼らの主催にすることに成功した、ということのようだ。

イヤー、これは世界的なおっちょこちょいの話しでは終わらない。今後詰めて調べ、考えていく。

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2006年10月 6日 (金)

歴史を語らない人、語れない人、歴史しか語らない人

ないないづくしだ。

どれも困る。一番困るのは歴史しか語らない人、だろうか。前の2種類の人はどうだろう。

僕は、歴史研究者ではない人が歴史を語るかどうか、それがいわゆる正当な歴史かどうかはとりあえず措いておいて、社会に対するスタンスを自分なりに持っているかどうかを示す指標だと思っている。僕たちは相手の人の歴史観を知ることで、その人の人となり、思想、姿勢を理解し、安心感や不安感を抱くのではないだろうか。

語れない人は、社会にどう対するかを考えているなら、そのうち語れるようになるだろう。まだ教養が不足しているだけだ。

厄介なのは、語らない人だ。僕の認識では、そうい人は自分が社会について考えていること、成し遂げようとしていることを人に知られたくない、隠しておきたい、という人だと思っている。つまり社会を欺いている人となるだろうか。そういう人には、不安感を通り越して、恐怖心を覚える。

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2006年10月 5日 (木)

重く受け止める…、冗談でしょう

これは昨日読んだ「毎日」の記事についての感想だ。ただし、僕の疑惑の対象は「毎日」ではなく、記事に登場する団体だ。

以下に見出し部分も含め、部分的に引用する。

臓器売買:日本医師会「すべての医師が重く受け止めて」
 日本医師会の木下勝之常任理事(先端医療担当)は4日の定例会見で、宇和島徳洲会病院で起きた臓器売買事件に触れ、「今回の事件が、移植に対する国民の信頼を損ね、移植を待つ患者さんへのブレーキになってはならない。すべての医師が事件を重く受け止めてほしい」と語った。
毎日新聞 2006年10月4日 21時25分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20061005k0000m040108000c.html

この記事に、冗談でしょう、と思ったのは先日来書いている、人体の不思議展のことがあるからだ。

知人から「迷走する日本医学会」と題するメールが送られてきた。そのメールは「『人体の不思議展』を巡って、医療関係団体が迷走を続けています。」という文章で始まっている。

具体的には、9月23日に日本医学会が後援を降りた、と書いたが、何か主催者側の働きかけで、今年度一杯は後援を続けるらしい、ということだ。

後援を降りるという話しは、この問題を追究しているグループに、会長名で文書で知らされたことである。それがその後、今年度一杯は、ということに話しが変わっている。先の会長名の文書はどうなるのだ?文書をもらった側は、現在どのような経緯で、年度一杯になったのかについて、文書回答を日本医学会に求めている。

どんな返事が返ってくるのだろう。

日本医学会がどれほどの社会常識を備えた組織なのかはその時に分かるだろう。

しかしこうしたゴタゴタを起こすということは、これだけで「大丈夫?」「しっかりやっている?」と思わせられる。

そのように日本の医者・医学者を見ているので、「重く受け止める・・・、冗談でしょう」となったわけだ。

不思議展は、人体の商品化の典型であり、人体部品の見本・カタログのようなものだ。こうした展示を後援することは、臓器売買を奨励とは言わなくとも、黙認していることではある。そうした自覚はあるのだろうか。

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2006年10月 4日 (水)

核保有宣言から核実験宣言へ

昨日、2006年10月3日、北朝鮮外務省が核実験を行うという声明を発表した。

以下は「共同」電を伝える「産経」のサイトの記事だ。

「核実験実施する」 北朝鮮外務省が声明
 朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省は3日、声明を発表し「科学研究部門で今後、安全性が徹底して保証された核実験をする」と表明した。北朝鮮が核実験実施に具体的に言及したのは初めて。実験の具体的な日時などについては一切触れていない。
 北朝鮮は昨年2月に核保有を公式に宣言している。関連国は北朝鮮の実施兆候を注視するとともに、思いとどまるよう説得を強めるとみられる。
(共同)(10/03 20:20)
http://www.sankei.co.jp/news/061003/kok014.htm

核保有宣言から1年7ヵ月で、実験実施予告を行った。これは核の保有が前提で、持っているからには当然のことながら、いづれ実験するぞ、というのが今回の声明だ。

保有宣言だけなら、本当に持っているの?という感じがあるが、いまや、持っているんだ!という段階だ。

この段階で安倍(首相)は今週末中国と韓国を訪問するが、その主要議題となるだろうか。なればそれは安倍がアジアの主要政治家と認められているということだ。しかしそうはならないだろう。そうした信頼を得るための一歩を踏み出した段階だ。

実際の、戦略的な話し合いは、中国と韓国との間で、安倍が日本に帰った後で、北京(多分)で行われる。この会合に日本は蚊帳の外だ。韓国と中国の会談について「日経」は次のように報じている。

中韓首脳、13日に会談・北朝鮮「核実験」声明
 【ソウル=峯岸博】韓国政府は4日午前、青瓦台(大統領府)で閣僚級の安保政策調整会議を開催し、北朝鮮の核保有を断じて容認しない立場を確認、核実験計画を直ちに取り消すよう求めることを決めた。潘基文(バン・キムン)外交通商相は同日、李肇星・中国外相、ライス米国務長官とそれぞれ電話で対応策を協議する。また盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が13日に訪中し、胡錦濤・中国国家主席と首脳会談を開くと発表した。(13:40)
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20061004AT1C0400604102006.html

韓国が連絡を取ったのは、中国と米国の2ヵ国だ。この現実を直視しよう。

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2006年10月 3日 (火)

沖縄に来た

久しぶりに沖縄に来た。新しいホテルに泊まったつもりがリニューアルされたホテルだった。

来る飛行機の中で数列前の人が読んでいる新聞に安部政権「無残な出だし」という見出しが見えた感じがしたが、実際は「無難な出だし」だった。

実際はどんなで出だしなのだろう。8日の日曜日から中国それに韓国に行くらしい。ずいぶんとあたふたとしている印象がある。韓国も中国も同じように急いでいるのか?どちらが急いでいるのだろう。両方だろうか?

日本と中国および韓国の最高権力者がどんな話をするのか、どんな結果になるのだろうか。

僕は日本の進め方が性急に過ぎる、前のめりになっているような気がする。

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2006年10月 2日 (月)

駅中の繁盛の前にーーJR東日本

9月28日、朝から京葉線が止まった。復旧したのは翌日昼頃だった。

この事故の「原因」/「遠因」について「朝日」は次のように報じている。

信号機器にバックアップなし、混乱に拍車 JR京葉線
2006年09月28日22時02分
http://www.asahi.com/national/update/0928/TKY200609280393.html

記事によればJRの「担当者は『このレベルのトラブルに対応するためには、もう一つ予備の信号機器が必要。そこまでの体制はとれない』と説明」しているという。

しかし輸送機関としては、駅中商店街の充実にうつつを抜かすより、こうした基盤整備がまず必要だと思うのだが。

上記の記事についているコメントを引用する。

曽根悟・工学院大学教授(交通システム工学)は「信号機器の故障が1カ所だけだったのなら、全線復旧に8時間以上かかるのは遅すぎる。迅速に対応ができていれば、少なくとも、他社路線での代替輸送が可能な新木場までの折り返し運転をラッシュアワーまでに始められただろうし、利用者向けの広報が早めにあれば、今回ほど大きな混乱は起きなかっただろう。システムの問題ではなく、人的対応の遅さが原因だ」と指摘する。

人の問題も大きいのだろう。

先日、JR東海の社員がJR東日本の電車を酔っ払って止めた、という記事が出た。曽根教授が指摘する人の問題を軽視すると、JR東海の社員の所業、自分の職場を、仕事場を汚し、仲間に仕事をさせなくさせるとんでもないJR東海並みの社員誕生ということになりかねない。

駅中の繁盛ではなく、安全運転を第一の、そして唯一の財産とするJRであってもらいたい。これは利用者共通の願いだ。

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