アップした写真はインチキではなかった
昨日(4月1日)アップした写真を「インチキ写真」としたことは大きな誤りだった。
昨日書いたように、あの3種類の写真は1910年から11年にかけての中国東北部での肺ペストの大流行時に撮影されたものだ。撮影したのは日本から現地に派遣された医療スタッフだろう。
ペストには腺ペストと肺ペストとあるが、肺ペストは死亡率がきわめて高い上に、ヒトからヒトへと感染が広がる。肺ペスト患者の咳や痰の飛沫によって感染する。他方腺ペストは、ペスト菌を体内に持ったノミに刺されない限り感染することはない。
写真の医療スタッフが物々しいマスクその他の防護服を身に付けているのは、患者からの感染を防ぐためだ。
ペスト菌が初めて特定されたのは、1894年の香港でのペストの流行に際してだった。この時日本から北里柴三郎と、東大教授青山胤通が現地に派遣された。北里はペスト菌を発見するという成果をあげた。他方、青山はペストに感染・発病したが、幸い命はとりとめ、日本に帰ることができた。
ペスト防疫、あるいは治療には感染の危険がつきものなのだ。そうした危険を冒した治療行為の中での写真撮影である。それは物見遊山ではなく、またいつ起きるとも限らないペストの流行に備えて、現地に行っていない、あるいはいずれ医者になる人のための、教育のための資料なのだ。
そういう意味で、インチキ写真とした写真は、まっとうな防疫のための写真である。また、現地に派遣された医療スタッフの努力を記録した貴重な写真だ。
これら写真が掲載されている「明治43・44年南満州ペスト流行誌附録写真帖」(関東都督府臨時防疫部編、満州日々新聞社発行)は、国会図書館で見ることができる。請求記号は:EG244-H46である。
| 固定リンク
« インチキ写真をアップ | トップページ | 新入生 »


コメント
はじめまして、
HPみに・ミーの部屋管理人こと、古本屋の常連を名乗っております。満州写真館等、あれこれおもいつくまま気の向くまま、さまざまをアップロードしておりますものです。
さて、このたび、
「明治43・44年南満州ペスト流行誌附録写真帖」
のご紹介を拝見しました。いや、ほんとうになんと申して良いやら。
大陸で死に面する人々、その難病に立ち向かう日本人の姿、当時の医学のレベルを考えますと、まさに命を懸けて疫病と戦う姿ともいえます。
が時代が変わり国が変わると、侵略した話になる?
明治の写真が昭和の日本軍の撮影になっているとは、明治時代に病気に立ち向かった人々の勇気も踏みにじっているわけで、中国が日本に対し、良識を持っていないことの証左では、と思ってしまいます。
で、実は、これらの写真をどこかで見たことがあるな、と思い出していたんですが、もしやあの731を取り上げた『悪魔の飽食』の続編に載っていたような気がします(この本は廃棄していて手元にありません)。
そうか、悪魔の飽食の作者も、悪意の持ち主であったか、とか思ってしまいますね。
中国の展示も、もしや、これの引用かな、などと想像しています。
中国に良識が無い、というと差別だ、と騒ぐ人も居るかもしれません。が、一寸、防疫を離れますが、私の経験を。満州出身者が集う満州談話室に、一人ほど、日本侵略を連呼する方がいらっしゃいます。
で、若い方が、チベットに行くけれども注意事項ってあるか?法輪功はその後の報道は無いがどうなったか、と質問すると、何やらこの人の逆鱗に触れたようで、
→中国では法輪功に対する人権侵害なし、
→チベットに関する侵略事実無し、
→俺はお前にこれらを教えたから、お前は俺に礼を言え、
と大暴走でした。
なんだか中国と付き合う、中国と付き合いたい人と付き合うことの難しさを見せつけられた気がしました。
ではでは、
唐突な書き込みとなってしまいましたが、
貴ブログのますますのご発展を祈念いたします。
また、こちらのご指摘、大変貴重なものと考えます。
当方掲示板でも紹介をしたく、よろしくご容赦の程、よろしくお願いいたします。
投稿: 古本屋の常連 | 2011年10月18日 (火) 22時49分