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2005年11月30日 (水)

与えられたオートノミー

日本の「士」の世界でオートノミーが形骸化しつつあるとみている。

これは制度が歴史を刻む中で必然的にたどる道でもある。しかし日本の場合、もうひとつの要素があると考えている。オートノミーというカタカナ語を漢字で表現すれば「自律()」だが、日本の「士」の世界ではそれは「お上」から与えられたものだった。言い換えれば、与えられた自律()、という矛盾した表現となる。

この観点に到達したのは、明治維新(1868)以降の日本での科学の歴史をみてきたことによる。明治新政府は開国とともに産業を振興し、さらには富国強兵のため諸外国で成功を納めていた制度、知見、技術などを積極的に導入した。その一環として科学も導入された。19世紀には、科学が人々の生活に欠かせない人間の知識の体系であることは誰の目にも明らかとなっていた。そして、19世紀の中頃にはヨーロッパ諸国では大学などの高等教育の体系に取り込まれた。

科学・科学者がこうした市民権を得る以前、コペルニクス(『天球の回転』1543年刊の著者)、ニュートン(『プリンキピ』1687年刊)、ラボアジェ (1794年、革命で反対派に処刑された)は、言い方は悪いが自分かってにやっていた。国や社会の支援を受けていたわけではない。その分「自由」だった。ところが19世紀の中頃になって、市民権を得た、すなわち科学研究が大学制度という国家あるいは社会のシステムの一部となった。それによって規制を受けることもあるが、大学制度は中世の時代からあり、社会的干渉から独立した存在で、オートノミーを持った組織だった。当初の学部構成は神学部、医学部、それに法学部だった。自律性の伝統は、新たに大学の中に入った科学の学部でも変わらなかった。またこの時期なると、大学の自律性は社会からの隔絶ではなく、むしろ一般的市民的自由の一環としての研究の自由であり、教授の自由の色彩が強くなっていた。

明治政府は、科学的達成を目指して、科学を振興するため欧米流の高等教育を取り入れた。この時、オートノミーもセットで輸入したのだった。言ってみれば、近代化の一環として鹿鳴館まで作ったのと同じだ。つまみ食いはしないのだ、食うなら皿まで食ってしまったのだ。しかし、市民的自由までは輸入しなかった。大学の研究者の自律性や研究の自由は、特権階級のそれであった。

これが「与えられた自律()」の中身だ。今、経年変化による制度の疲労と、木に竹を接いだ無理といった、両面の問題が噴出しているということだろう。この問題の解決にはこの二面性を踏まえて行うことが必要だ。

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2005年11月29日 (火)

「士」の犯罪、続き

昔、今日の続きは昨日の続き、今日の続きはまた明日、というラジオ番組があった。

これは昨日の続きで、弁護士会のオーノミーの問題についての疑問だ。先週著名な弁護士だった中坊公平氏が弁護士を正式に廃業した、という記事が載った(「日刊スポーツ」)。記者はこれをどんな気持ちで記事にし、デスクは何故それを掲載したのだろう。(http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-051122-0031.html)

記事の内容は、彼が2003年10月に出していた廃業の届けが受理され、正式に廃業した、が骨子だ。受理が今頃にずれ込んだのは、住 宅金融債権管理機構(現整理回収機構)社長としての彼の行為について、懲戒請求がなされ、それについて審理がなされていたためだった。審理した大阪弁護士 会は債権回収における彼の「非行」は認めたが、04年になって、いわば時効であるとして、請求を却下した。その決定に対して異議申し立てが行なわれたが、 日弁連はそれを棄却した。それを受けての廃業届けの受理だったことを記事は伝えていた。

この記事を書いた記者の思いは何だろう。昨今の「士」の犯罪の温床が、弁護士会にもある、弁護士会も今やオートノミーを失った集団に成り下がってし まった、という思いではないのか?その思いで考えると、弁護士会の暴走は、04年の請求却下、からはっきりした形で始まったということになるのだろうか。

僕自身の関心は、専門職業人としての「科学者」が、日本社会でどんな役割を果しているのか、オートノミーを持っているのかを考えてきた。昨今の「士」の犯罪は、僕にとって格好のケーススタディとなりそうだ。

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2005年11月28日 (月)

「士」の犯罪

今日ひとりの代議「士」が逮捕された。彼は弁護士でもあったが、弁護士会に退会届を数日前に出した。
近年「士」の犯罪が目立っているような気がする。カネボウや足利銀行など粉飾決算をめぐっての公認会計「士」。
ここ1週間ほどは、建物の構造についての建築「士」の詐欺師もおよばない大胆な犯罪行為。多分これは建築「士」の単独の行為ではなく、その背後に企業がひかえているのだと思う。

「士」は、社会が、あるいは国家が認定した専門家だ。そうした専門家の犯罪を、非専門家である、一般市民が見破ることは難しい。建築「士」の場合は設計図を公的機関がチェックすることで、一般市民に過大な負担をかけないようにしている。それが今回は機能していなかったことが明らかとなった。
今日逮捕された代議士や粉飾決算については、そうしたチェック機能はあるのだろうか?弁護士や会計士たちにはなどにはオートノミー(自律性)が認めれら自ら律することになっているのだが、そうではない「士」が増えたということか?

今年は、こうした本来オートノミーを持った「士」の犯罪が法律、金融、建築、それぞれの分野で出たことで記憶されるだろう。それはまた日本の社会が一段と「規律」あるいは「自律性」を失い始めた、最初の年として歴史に残るかもしれない。逆に、そうしたものを取り戻し、専門家が、行政がそれぞれの責任をきちんと果たすような体制の再建の最初の年となってもらいたいと願っている。

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2005年11月26日 (土)

最初の投稿

とりあえず最初のブログです。

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